ゆりおろぐLIFE

エッセイと日々の活動。

飢餓感を味わいたいので買い置きはしないタイプ

我が家は物が多い。本やゲームなど趣味のものが多いし、夫がとにかく買い置きが好きなタイプだ。

 

洗剤は各種類少なくとも1、2個はある。しかもどれも大容量のお買い得品だ。調味料も油もまだあるのに夫は買い置きをする。バジルもオレガノも大容量のパックが食糧庫を占拠する。「ないと不安だ」と夫は言う。

 

私はそのスタイルにたいそう不満がある。

 

飢餓感を味わいたいので

なにかが「足りない」「欲しい」と思う感覚って、とても楽しいものだと思うのだ。

無くなっちゃったから、買いに行きたい!という感覚。買って、この手に収め、食べたり飲んだり使うことを想像する。楽しみになる。そうして買いに行く。そういうのが好きだ。

 

「足りない」感覚。つまり飢餓感。

飢餓感が生じるのは、「それが無い」ときだ。

だからいつも買い置きがあるのは常にお腹いっぱいみたいなもので、お腹いっぱいの時にする食事というのはどうもつまらないのと同じで、全然楽しくない。

 

ありがたみがないのである。

 

例えば、我が家で大人気のチョコレートスプレッドといえば、ヌテラだ。

 

…朝食に焼きたての食パン。ヌテラを厚めに塗って頬張るのは至福のひとときである。

 

私も夫もこれが大好きで、無くなりそうになるとすぐ夫が買いたがる。でもちょっと待って、ここで一旦ヌテラがない生活をしようと提案する。ヌテラがない、その不在を感じ、いややっぱり我々にはヌテラが必要だ、大事だと再認識した上で、買おうと言う。

 

そうして届いたヌテラはキラキラ輝いて見えるのであった(少し)。

 

ケチャップがなくなったらクリエイティブステージが開く

「買い置きしない」他のメリットとしては、発想力が鍛えられることにあると思う。

 

例えば料理中、ケチャップがありませんとなったら、イライラするが仕方ない。それなしでどう美味しくするか考えればよい。

 

私は「ここにあるものでどうにかする」という貧乏性的クリエイティブが大好きなので、この状況は実はたまらなく楽しい。

 

そこでスーパーに買いに走ってはいけない。それは負けである。

 

いっそトマト味になる予定だった炒め物はネギ塩にんにく味にしてしまおうか。いくらでもサバイブできるのだ。ケチャップがなくなったらクリエイティブステージが開くくらいに思っておけばよい。

 

なお、マヨネーズは無いと代わりのききにくい調味料なので、たまにいやいや安売りを買い置きする。ポテトサラダにはが好きなので仕方がない。

 

ほかに、私が嫌いな買い物ランキング上位に「ラップ」がある。ラップだけは、使うのも別に楽しくないしわくわくしないし、そのわりに必要だしでも高くて買いに行きたく無い。だからこれだけは夫が買い置きしてくれないかな、3本くらい、と思っている。

 

 

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