我々が人を殺さずにいる理由について
先日、病院に行ったら友人に遭遇した。久しぶりに話して、友人の嬉しいニュースを聞いたりした。
病院なんてかったるいのに、こんな偶然にすご嬉しいことがある、生きてるって面白いな悪くないなと思う瞬間であった。
「死のう」と思う、「人を殺そう」と思う人がいる。
思うことくらいは、あると思うのだ。それを実行に移そうとするときに、その人の人生が問われるのだと思う。
その瞬間、頭に思い浮かぶ人はいなかったのだろうか?心配そうに自分を見る母の顔が思い浮かんだとしたら、彼は小学生を刺しただろうか。
飲みに行こーぜと言いつつしばらく会っていないような、友人の顔が思い浮かばなかっただろうか。
落としましたよと、自分の持ち物を拾ってもらって少しの親切や笑顔のやりとりがあったとしたら、彼は刺したのだろうか?
わからない。
彼は全く卑怯者であり、自分の環境を呪いたいのなら、変えたかったという気持ちがあったのなら、もう少し頭を使えよと思う。刺すべきは小学生じゃないだろう。行くのは登戸じゃないだろう。
他方でやっぱり思う。彼はその瞬間、心に思う人はいなかったのだろう。大事にしてもらったという記憶がなかったのではないか。
やりたいことも会いたい人もいない、食べたいものもない、あったとしても無理、到底無理。そういう孤独とか、無力感の中にあったのかなと想像する。
殺す5分前。
なにか親切にしてもらっていたら、彼は刺さなかったのではないだろうか。
そういう考え方を私は持っている。人を信じたいみたいな気持ちがあり、相当綺麗事ではあるが、ひとつひとつの出来事で、人は打ちのめされたり、今日よかったなと思ったりするものだし、孤独にあるときほどひとつひとつの影響は重たいので、私は、せめて自分がいる場では、やさしい空気を持っていたい そう思って生きているし、これからももっとちゃんとしたい。
それでもさ、少しの親切なんかじゃ救われないっていうのも本当のところで。彼に必要だったのは、働く場所か、安心して話せる相手だったんだろうなと思う。
働く場所だよ、金だよ、おいしいごはんだよ、面白い本だよ映画だよ、行きたい場所だよ、会いたい人だよ。そして普通に働ける職場だよ、受け入れてもらえた経験だよ、ここにいて良いって思える居場所だよ。