ぬいぐるみで考えるキズナマンと浮遊霊
さて、このような程よいゆるさのあるつながりが、キズナマン。
危機を支えてもらえる安心感があります。糸はぴんぴんに貼っておらず、安心感の中で動き回ることができます。写真では糸はちょっと短いですね。この糸をどんどん長くしていくことが、自立だと思います。
さて・・・
この黄色いねこですが、こんなことになってしまいました。
友人とのつながりが切れました。
社会とのつながりが切れました。
両親とのつながりが切れました。
ねこは・・・
自由なのでしょうか。
あれ?
あそこのピンクの人は、つながりをもっているキズナマンのようだ。。
みんなに見守られている。
これが孤独であり、これが「居場所の無さ」
これが「浮遊霊」であり
これが「生霊」です。
【黒バス脅迫事件】実刑判決が下った渡邊被告のロジカルでドラマチックな『最終意見陳述』があまりにも切ない | かみぷろ
渡邊被告が、渋谷のスクランブル交差点にナイフを持って刺しまくった。くる人目に入る人みんな殺してしまった。
そんな事件にならなかったのは、「たまたまだった」と本人は言う。
「逮捕されてから、自分はとても恵まれている」
刑事さんや検事が、彼のことを、彼の人生に耳を傾けて、「君は地頭が良いんだよね、本当はもっと社会の役に立てたはずだ、君が出所した後に自殺したと聞いたら悲しいよ」と言ってくれたそうである。渡邊被告は、それを優しさとちゃんと受け取れないほど感受性を枯らすことは無かったのだ。
渡邊被告は、幼い頃大体において両親から放置されていたという。
転んだら、「痛かったね、転ばないように気をつけようね」と親に共感してもらう経験がなく、ただ、「走るな!」と怒鳴られるのが怖いから気をつける。そういう日々を、家庭で過ごし、共感してもらうことを知らなかった被告は学校でうまく振舞えず孤立し、いじめられる。
地元一の進学校に合格しても、ただ「怒られない」だけで、ほめられることはなかったという。
がんばろうと思えない。
努力した先になにか素晴らしことが待ってると、信じられる人間にしか、努力はできない。それは自分ではない。
だれか1人。
渡邊被告が幼い頃に、安心させてくれる人が居たなら。「大丈夫か?」と聞いてくれる人が居たなら。がんばって嬉しそうにしていたら、「よく頑張ったね」と声をかけてくれる人がいたなら。
信じてくれる人がいたなら。
彼が、これから、刑務所の中でも、頑張りたいなにかを見つけられることを、もうすこし生きてみるのも悪くないと思えることを、切に望む。