干物もメンチもおいしすぎ。海の町真鶴移住体験2日め/干物ピザ屋Kenny/高橋水産/冨士屋精肉店
三ツ石の朝焼けと謎の女性たち
なぜか、朝4時に目が覚めた。しばらく布団の中でぼーっとしていたが、夫が先に起き出した。予報ではくもりだったが、星が見えるくらい晴れているという。
夜型の夫婦2人が早起きするなんて、これはもう、朝焼けを見に行けということではなかろうか。
温かいコーヒーを入れて、みかんとカメラをカバンに詰め込み、車に乗り込んだ。
向かったのは三ツ石と呼ばれる海岸。
真鶴随一の素晴らしいものがのぞめるとうわさである。
町を少し抜けるとそこはもう林。鳥がピヨピヨ、姿の見えぬアニマルたちの妙な鳴き声がして、ちょっとしたジャングルに迷い込んだような気持ちになる。
林を抜けるとそこは海…!
と思いきや、いや確かに海なのだが、下〜の方に見えるのだ。
その手前には幾百の階段が…見える気がする…
ヒィヒィ言いながら階段を1つ1つ降りて行った。
時刻は5時半ごろ。
ものすごく空気のやわらかい場所である。
地平線。柔らかい空の色。
周りには女性ばかりのツアーの方達もきていた。それぞれが少し離れた岩を選んで静かに腰かけ朝日を見ていて、まるで妖精のようでとても美しかった。
私は神秘的なことなんて全然わからないが、ここでヨガなんかをしたらどんなに素晴らしいだろう、と思えるくらいにはスピリチュアルな場所だった。
軽く伸びをしたり、ストレッチをしてとても気持ちがよかった。
端的に言って、三ツ石の朝日は最高である。
最高なのはいいのだが、そのあとは泣きながら階段をのぼるフェーズが待っていた。
三ツ石のシピリチュアルパワーはわたしの足のやわな筋肉には作用しないらしく、登りきる頃にはぷるぷるふるえた。さらに足首からふくらはぎにかけて、無数の蚊に刺されるなど試練の連続だった。
干物がこんなにおいしいって知らなかった
最高すぎる干物ピザの店、ケニーにて
家に帰って朝ごはんを食べたり、昼寝をしていると午後がきた。
午後がきたと思うなり私は飛び起きた。
なぜなら今日は、「干物のピザ屋」に行くからだ!
干物のピザなんて聞くと、とっても生ぐさそう!おいしいわけない!と思うけれど地元の人にも大人気らしい。
そういうわけで行って来た
感想は…
ただひとこと言わせてほしい、
最高である。
さっくりしつつもっちりと楽しめる生地は、薄すぎず厚すぎず。
ピザはどれも美味しかったが、中でも至高の一品はさんまのみりん干しピザである。
正式名称はまるっと忘れた。
とにかくさんまのみりん干しの小さく切ったのが乗っているのだ。
これがうまい。
まず一口。ん?と思う。
食べたことない感じである。干物の香りがする。ほんの少し甘みのある生地の味がする。美味しい気がする。飲み込んだ後、口の中にほのかに干物の香りが残る。2口目。美味しいと思う。3口目。ばくばく食べる。
食べ切った後、わたしはたった今食べたばかりのさんまのみりん干しのピザのことを懐かしく思い始めた。
この後数時間は口をひらけば「干物のピザ…干物…さんまがね…」とつぶやくのだった。
川口さんと干物と
午後は川口さんによる真鶴町ツアーだった。
よそ者である我々を、素敵な川口さんが町の人たちに紹介して回ってくれるツアーである。美しい道も教えてくれる。
商店街の方達にごあいさつし、何人かの方はお話をしてくださり、「こんな何もないところに住みたいの?」とか、「ぜひ住んで欲しいよ」とか言ってくださった。
普段は町のほとんどの人をしらない東京の生活をしているので、新鮮である。
東京では、案内しようと思っても店の数が多すぎて無理だろう。
ここでも印象的だったのは干物のお店であった。
連れて行ってくださったのは、高橋水産という港にほど近い場所にある魚屋さん。
伝説の干物職人がいらっしゃるそうだ。
ここではなんと、干物の味見ができる。
しかも好きな干物を選んで、炭火で焼くのだ。
わたしは「いかのくち」を選んだが、あんまり美味しいので目を向いた。サワラやアジもカワハギもいただいた。こんなにもふっくらとして、甘みがあり、臭くない干物があったのだろうか。
感動だ。
とりあえずアジの干物を2枚購入。おまけでチビのアジもつけてくださった。
こんなにも美味しい干物がふつつかな私にも買えるなんて、本当に嬉しいことである。
おいちゃんのメンチカツ、おいしすぎ問題
夕飯用に、メンチカツとコロッケを購入した。
ピザ屋ケニーの目の前にあるお肉屋さん、冨士屋精肉店である。
いかしたおいちゃんが売ってくださった。どうして、真鶴の人たちはこんなに感じがいいの、こんなに明るげなの、私は大好きです。
ソースがないので、ケチャップと醤油を混ぜてこしらえたが美味しくできた。
肝心のメンチカツとコロッケは、素晴らしいとしかいいようがない。
コロッケはもっちりと。メンチカツは…メンチカツは…ふっくらとして…たまねぎが甘くて…思い出すと涙が…ちょちょぎれる…明日も明後日もたべたいほど愛せる。そんな味だった。
あのいかしたおいちゃんが売ってくれたのだと思うといっそう美味しい。
そんなストーリーが食を生活を、彩るのではなかろうか。
思い起こすのは、
数日前、東京の家の近所に住む叔母からあったメールである。
「今日Mスーパーで、もやしが9円よ!」
そのときはげらげら笑ってしまったし、もやしが9円であることは素晴らしいことだと思った。おまけにキャベツが69円だという。確かにいい。わざわざ出かけていきたくなる。
しかしそれだけだ。
誰から買って、どんな話をしたとか、そういうストーリーは全く、ないのだ。
だって、スーパーに行けば毎回違う人がレジにいるし、向こうもこっちも相手の顔なんて覚えない、話さない。
できるだけ、早く。できるだけ、多くの人に。
できるだけ、大量に、できるだけ、沢山の種類のものを安く。
それが東京である。
心地よさとはなんだろう
今日はとてもとても、楽しかった。内側から満たされるような感じだ。
ところで東京の最近引っ越した私たちの部屋は、とても可愛い。
北欧家具で揃えたインテリア。おしゃれなフローリング。大好きな部屋だと思っていた。居心地が良く素晴らしい部屋だと思っていた。
でも私はいつも無気力で、閉じ込められたような気持ちだった。
今滞在しているくらしかる真鶴は、面白い部屋ではあるが、いわゆるおしゃれな家具なんかはない。昔ながらの作りの家を改装した、広い家である。
何の問題もない。
空気はおいしく、静かだ。八百屋に行けばおじちゃんが「大根はあたまがいいかしっぽがいいか?」なんて聞いてくれる。
少し歩けば美しい山と海が見える。パワーにあふれた場所がある。
ほどよくかまってくれる人。
おいしいごはん。
今は東京に帰りたくない気持ちで、いっぱいだ。