ゆりおろぐLIFE

エッセイと日々の活動。

闇の本屋のすばらしいところー山陽堂書店

書店は小さいほどよい。

 

素敵な本を、時に暗く、生臭く、気味の悪い話を、繊細で、ちょっと恥ずかしいくらいの本を、自分のそのときの心に合った本を、ちょうどだけ欲しい。

 

そう思って本屋を訪れるとき、

ずらり50音順にならんだ、出版社別の棚では、そんな本を見つけることが難しい。ギチギチに詰まった棚で、ベストセラーのカラフルな帯のついた本に囲まれて、そもそも手に取ることさえ億劫だ。

 

近所はそんな、普通のチェーン展開している書店しかない。書店員さんこだわりのポップなんかも置いてない、普通の本屋だ。ざっくりと、好きな作家の新刊を探す時には便利だけれど。

 

でも、本を本当に見つけるには、物足りないと思う。大きすぎると思う。

 

久しぶりに、表参道の山陽堂書店を訪れて、そんなことを思った。

 

山陽堂は、なんだか一見入りにくい。立ち読みなんてしていたらハタキでパタパタ追い立て回られそうなイメージの、女性店主の小さな本屋さんだった。

でもなんとなく気になって入ってみたら、自分の好みの本がドンピシャで次々に見つかってしまった。

 

棚全てが濃ゆい。置かれている本たちは、売れるように書かれた本ではない気がする。店主が感性で選んだ本、な気がする。

 

決して種類が多いわけではないはずなのに、ものすごくわくわくする。

 

正直に言うと、普段はアマゾンやメルカリ、ブックオフで買ってしまうことが多い。でもそれは、大抵「買うものが決まっている」ときだ。作品名や著者を既に知っている、それが自分の興味に近いことがわかっている、そういうときに安く手に入れるには便利なのだ。

 

しかし。

この、濃い本屋で、実店舗の醍醐味をがつんと思い知らされた。

 

自分はこんなものに惹かれるのか。

自分はこんな気持ち悪いミステリーを手に取りたくなるのか。

自分はこんな詩集にぐっときてしまう生活をしているのか。

 

タイトルで選んでいく楽しさ。センスの感じられるものが多く、当たりの多いくじを引いているような、宝箱を次々開けて行くような、そんな楽しさがあった。

 

自分も本屋をやってみたい!とすら思ってしまう、かっこいい本屋だった。

 

棚を丸ごと部屋に持って帰りたかったが、結局迷いに迷って1冊だけ購入。大量にメモをとり、帰途についた。

 

ああ。

久しぶりに本を漁る時間、アンテナを張って自分の興味に集中する時間。濃い本にどっぷり浸かって、クラクラするくらい楽しかった。