「手間をかけることは無駄なのでしょうか?」オクラの豚肉巻きを作って考えたこと
目次
老婦人が死ぬ前に食べたいもの
ツイッターで、ある投稿を見つけた。
とある老婦人が、テレビのインタビューで「死ぬ前に食べたいもの」を聞かれて、
「オクラの豚肉巻き」と答えたという。(ちきりんの投稿より)
どんな老婦人かは知らない。どれくらいのごちそうを食べてきた人なのかは知らない。
オクラの豚肉巻き…
ごちそうという感じはしない。華やかさはない
、でもきっとおいしいんだろうなと思った。
豚肉で何かを巻く料理についてのイメージ
豚肉で何かを巻く料理はよくあるが、私はほとんど作ったことがない。
肉で手がベタベタになるし、「そんなちまちま肉巻いてられないよ!」というのが本音である。
食べることは好きだけど、大事なのは時間と体力。まず簡単で楽なもの、考えなくて良いものを必要最低限の予算と労力で作っていた。
朝は毎日同じトーストにジャム塗って終了だし、夕飯は味噌汁にご飯にさつまあげか餃子、そんな感じ。
ちまちまオクラを巻くような生活か、と思った。巻き終わりを下にして、フライパンでジュウジュウ焼くんだろうな。
ジュウジュウ。
ジュウジュウ…
想像したら気になってしかたがなくなった。
オクラの豚肉巻きの世界へようこそ
私より何万食も多く食べてきたであろう、老婦人に死ぬ前に食べたい、と言わしめたもの。
そんなオクラの豚肉巻きを試してみたくて、
老婦人のみた景色を見てみたくて、
作ってみたぜ!
ジュウジュウジュウジュウジュウジュウお・くら!
(作り方)
・オクラを洗い、ヘタを取り、ラップをして4分くらいレンジでチン。
・豚肉をひと口大に切り、広げてオクラをくるくる巻く。
・巻き終わりを下にしてフライパンで焼き、コロコロ転がして焼き目をつけたあと、最後は弱火にして蓋をして軽く蒸し焼き。
・味付けはシンプルに塩胡椒で。
完成!!
雰囲気で作ってみたが、とてもとてもおいしかった。夫もごちそうだ!と喜んでいたし、子どもも小さく切ってやると食べた。
作るのは、楽しかった。
料理を作る前から、「今日はオクラの豚肉巻きを作るぞ」と思っている。「今日のごはんは美味しいぞ」と思っている。
これはもう、1つのイベントである。
ただの栄養摂取ではない。空腹という生理現象への対応じゃない。食べなきゃいけないから食べるという義務でもない。楽しみであり、イベントである。
作っているときは、どれくらい豚肉を巻いてやるのか、何重に巻くのかまだ巻くのかまだ巻くのかお前は食いしん坊か、余白は残すのか、これくらい巻いてあったらおいしいかなど考えながらつくった。
おいしくなるといいなと思いながら作った。
そうしたら、なんだか久しぶりに、料理をした!という感じがした。いうほど難しい料理ではないのに、いつもとなんかちがう。なんかすごいこれ幸せだ…。
普段の食事を振り返る
最近の生活について思い返していた。
子どもが生まれて、そして働き始めて、とにかく体力と時間をセーブすることを第一に考えてきた。予算はできるだけ使わないことも大事にしてきた。
スーパーの安売りコーナーで買うさつま揚げ、毎朝食べる99円の食パン6枚切り。
別にいいと思っていた。食事の支度は大変だし、がんばりすぎはよくない。お腹がいっぱいになればそれでいいじゃないか。食費は削れる方が主婦として優秀じゃんとも思っていた。
できるだけ考えなくて良い、できるだけラクな献立を作ろう。それでなんとか食事の体が保てればそれでよい。今日のメニューだって原始時代に比べたらマシだろう。家族の腹を満たせれば、今晩の夕飯をやりすごせればそれで良いのだ。
それだけを考えていた。
それでもごはんの用意は億劫でしかたがなかった。休日さえ、子どもになんとか食べさせた後は、大人は食欲なくぐったりとコーヒーを流し込むくらいであった。
そんな生活をしていて、突然オクラの豚肉巻きを作って思った。
おいしいものはよい。
オクラの豚肉巻きを食べるとき、生きてるって感じがした。
「手間ということは、無駄ということなのでしょうか?」
そんなセリフを思い出した。漫画コスメの魔法に出てくるデパートの美容部員の高樹さんが、子育て中で何もかもうまくいかない主婦にネイルケアのレッスンをしながら言うシーンであったと思う。
「手間ということは、無駄ということなのでしょうか?」
手をかける時間は無駄でしょうか、甘皮を丁寧に処理してアロマのいい香りのするオイルでケアをする時間はゆったりして良い気持ちではありませんか。
めちゃくちゃ、考えてしまった。
「料理は無駄である」
わたしはそう思いながら、イヤイヤやっていたのではなかったか。そうだ。わたしはイヤイヤやっていた。料理は好きだったはずなのに、毎日やるのが大変で、でも子どもの栄養を考えなくちゃ野菜食べさせなきゃって考えるのが億劫で、大変だから楽しようって工夫していた。
でもいつも時間に追われていて、減り続ける体力ゲージとの戦いで。もうアンドロイドならいいのに、私がロボットなら楽なのになんでと思っていた。
とりあえず、これで。
とりあえず、疲れてるし、これでいいや。
とりあえず、お金ないし、これでいいや。
いつもとりあえずのごはんしか作ってない。食事が楽しみじゃない。料理がいやだ。片づけが嫌だ。何なら完全栄養食のドリンクだけを流し込んでおいてすむならそれでいい、ロボットなら充電すれば良いのに人がはなんて面倒なんだろう…そんな感じである。
わたしの最近の生活とは、大して食べたくもないものをイヤイヤ作り摂取し、やり過ごすための食事であった。お金も節約して、ムダの少ない生活であったかもしれない。
でも、と思う。
じゃあわたしはいつ、美味しいものを食べるのだろう。稼いだお金をなにに使うのだろう。
いつかのための節約を一生懸命してるのは、なんのため。
いいかげんなものを食べて、素晴らしく節約できたとして、楽しいか。
いまは準備期間なのだろうか。お金がドカンと貯まってきたら、わたしは美味しいもの食べれるのだろうか。
いまは準備期間なのだろうか。
いまはいつか訪れる、素晴らしい人生の準備期間なのだろうか。そこまでいかなくても、例えば楽しみの旅行のために働いていたとして、それ以外は死んでるのか。
今は、生きていないのだろうか?
「オクラの豚肉巻きを作る」には下記のことが含まれていることがわかったのだ…
・何か楽しみなメニューを決めて待つ時間(わくわく)
・おいしくなるように想像しながら作る時間
・楽しみに待つ家族との時間
・うまいうまいの時間
・おいしい。
・幸せ。
・生きてるって感じ。
それでも毎日は忙しい、しかし。
「手間は無駄ということなのでしょうか?」
この問いを毎日思う日々である。