ゆりおろぐLIFE

エッセイと日々の活動。

会社に利用されていると思ったとき、どうする。ー『ゆっくり、いそげ』

 

 

私は利用されているだけなのか…と思ったとき

少し前に、仕事で成果をあげた。(と自分では思っている。)担当部門で売り上げが数倍になったのだ。
内定時、「成果をあげたら時給アップ」と言われていたのに、私のお賃金は一向に改善されなかった。私は期待に応えたのに、お前は期待に応えない。私の時給は最低賃金+@程度のまま

 

当然、モチベーションは落ちた。地に落ちた。ビタン!と落ちて、ころころ転がり、崖から落ちて海に落ちて見えなくなった…


あぁ、私は利用されてるだけなのだ

 

考えてみれば、当然だろうか。別に私と働きたいから雇ったわけではない。私の人生に何か貢献しようと思って雇ってくれたわけではない。

利益を追求している小さな会社。私は安く買った労働力。それで成果を出せば儲けもの。できるだけ安いままで使いたい。辞めたらその辺りで、また安く買えば良い。

 

本人のキャリアや適性や希望をしっかり考慮する企業もあると思うが、私の勤めている会社はそうではなかった。しっかり社員と面談して不満や希望を掬い上げる会社もあると思うが、私の会社はそうではなかった。


「それなら私も利用してやる」と思ったら病んだ

もういい、と思った。相手が私をどうでも良く扱うのだから、私もどうでも良い感じにしか働かないぞ。最低限しかしたくないぞ。会社が私を利用するのなら、私も会社を利用するのだ。


利用しよう、そう思って仕事をするようになったら、まず自分がすごく偉そうになった。最低だけど、電話を取らなくなった。細かな報告や連絡をしなくなった。成果がでても自分に良いことが起こらないのだからと、何か新しいことを考えようとしなくなった。来た球を返すだけだ。会社にとって良いことなんてしてやるものか。

 

 最小限の力で最低限の仕事をして、誰かからのお土産の美味しいお菓子は沢山食ってやる。1人1つのところ私は2つ食ってやる。3つ食ってやる。利用してやる。私は損をしているのだから、できるだけ得してやるのだ。

 

今考えれば、当然の感情でもあるし、拗ねた子どものようでもあるし、完全に鬼だと思う。

上司からの評価は、悪くなった。ちょっとしたことでキレられることが増えた。成果が出てもなんのフィードバックもないのに、ちょっとしたミスで怒られることにさらに不満が募った。それと、納得できないことはしたくないけど、でも、嫌われていくことも怖かった。

 
毎朝会社に向かう時、暗い気分になった。席に座っているとき、いつも不安だった。悪口をいつも言われているような気がした。

 

電車の中では気づくと転職サイトを検索した。でも、「どうせまた利用されるだけ」と思うとクラクラした。

 

「人を手段化する経済」という言葉のしっくり感

そんなときに、自分の部屋の本棚にある本を手に取った。

ゆっくり、いそげ ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~

『ゆっくり、いそげーカフェからはじめる人を手段化しない経済』影山知明



以前に読んだときはピンとこなかったけれど、タイトルや帯のキーワードが気になったのだ。手段化。利用。ギブとテイク。

 

読みながら、泣きたい気持ちになった。

「会社は利益のために客を利用し、客は会社を利用する。

会社は社員を利用し、社員は会社を利用する。」

 

だから人はできるだけ安く、できるだけ自分が得をするように行動する。支払っている価値より受け取っている金額が少ないと感じれば、それ以外の部分で埋め合わせようとする。会社の備品を持って帰ろうとするとか。

本書では、そういったテイクする関係の消耗感について書かれていた。

 

 そうそうまさに、こんな感じ。会社は安いまま私を使いたいし、私は納得できなくて、給料以外の部分でなんとか帳尻を合わせようとする。(お土産のお菓子いっぱい食べてやるとか、最低限しか仕事しないとか)

 

私の反省。「健全な負債感」

この本に出てくる、「健全な負債感」の話が好きだ。

 

健全な負債感。人は値段よりも素晴らしいと思えるサービスを受けたとき、「ありがたい」と思う。申し訳ないような、借金のようなものを負ったような気持ちになる。

 

だから負債を返すため、周りの人に店のことを紹介したり、その店のために何かをしたい、今度は自分が贈ろう、と思う感覚。

親切にされたら、今度は自分も誰かに優しくしてあげたくなったり。

 

そうして経済や社会が回っていったら素晴らしいよね、うちのカフェはお客さんから何かを手に入れる(テイクする)ためではなく、人に贈る(ギブする)お店でありたいーという話だった。

 

 

「ありがとう」って言われると嬉しいよね、っていう、それだけの話かもしれない。

 

私は自分の行動振り返ってみて大いに反省した。私もひたすらテイクするために働いていた。会社もそうだし、お客さんを「自分の給料を上げるため」に利用しようとしていたのだ。そういう対象として見ていたのだ。

すごくみっともなかったし、なんか疲れた。早く結果が欲しくて、焦っていたことにも気づいた。

 

この本のような、素敵な会社はそんなにないと思う。ほとんどないと思う。社員やお客さんの幸福や、社会の本当の意味での豊かさなんかを考えて、商売をしている人はそういない。小さな会社だったら、社員の給料や家賃を払い続けるために、会社を続けていくための利益を出すだけで精一杯かもしれない。

 

私の会社は普通の小さな会社。人がどんどん辞めていくし、人を大事にできていない、未熟な会社だと思う。

 

でも、仕事でかかってくる電話は取ろうと思った。電話の相手は、困っているのかもしれないから。会社の売り上げとか自分の成果ではなくて、相手を助けるために。

仕事って、ただそれだけのことかもしれないね。

転職活動も、するけどね。

 

テイクしない。それは誰かに身を捧げるということではない。献身するということではない。我慢するということでもない。

 

そう思えたのは、本をただ読んだせいだけではない。久しぶりに好きなだけおしゃべりできた日があったので。ギブしたい、ただいい時間にしたいと思って行動した自分に久しぶりに会ったから。

 

     

 

 

ゆっくり、いそげ ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~

ゆっくり、いそげ ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~