おかあさんの誕生日が好きだった
先日、母の誕生日だった。
そうだ今日だったか、と仕事帰りにようやく思い出した。
何歳になるのだろう。
駅に向かって歩きながら、子どもの頃の気持ちが急に蘇ってきた。「おかあさんのおたんじょうび」は、昔はすごく重要なイベントだったのだ。
当日の夜、お母さんが帰ってくるまでに部屋の飾りつけをした。ママおめでとうと書いた紙を貼った気がする。妹とお小遣いを持ち寄ってプレゼントを買いに行って、手紙も書いた。
おかあさんの喜ぶ顔を想像するのが楽しかった。おかあさんのためになにかすることが楽しかった。
大して仲の良い友達もおらず、夢中になるようなこともなかった私にとって、何でも話を聞いてくれるおかあさんは特別な存在だった。
その頃私はハート型のペンダントを宝物にしていた。ペンダントトップには普通は好きな男の子の写真とかを入れるのだけど、私はお母さんの写真を貼って、首から下げていた。
お母さんも「こんなに私のことを好きなんだ」って喜んでくれる…と思ったら、微妙な顔をされたなあ。
そして私の選んだプレゼントの星のネックレスをありがとうと言いつつ全然喜ばなかったなあ。全然、つけてくれなかった。
そうやって傷ついたこともしっかり覚えてるけど、母は優しく、私のために何でも与えようとしてくれていた。
心と体が不調だった時期、よくわからない整体に連れて行ってくれた。ブクブク泡が出て健康になれる謎の機械を10万くらい出して買ってくれた。お母さんはパートなのに。
お母さんと、小さかった私の時間。
お母さんだけが特別だった時間はもうこない。
今の私は、他に好きな人がいる。他に好きでいてくれる人がいる。やりたいことがあり、守ってくれる人がおり、守るべき人もいる。気の合う友人もいる。
今は…母とはそれほど気が合うとは思わない。
自分の世界の方が大切だ。
お母さんだけが大事だった頃が、懐かしい。
うっとおしいこともあっただろうけど、お母さんにとっても特別だったはずだ。
歩きながら泣いたけど、母には「パッピーバースデー」とLINEした。
母が生まれなければ、祖母の子宮からオギャアオギャアと無事に出てこなければ、私も生まれず、可愛い息子も生まれることはなかった。
本当におめでたいね。