ゆりおろぐLIFE

エッセイと日々の活動。

夫婦2人無職だけど子ども産んだよ

2月に子どもを産んだ!

  

本当に産めると思っていなかった。産めるとしても、きっと変な人だろうと思っていたのに、出てきた赤ん坊はものすごく、可愛い、ものすごく、いい人そうな、肌の白い男の子だった。

 

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無職で子ども産むぞ

妊娠してから出産するまでのあいだ、夫婦2人とも無職だった。多分、めずらしい例だと思う。

 

妊娠して産科に行ったとき、夫も私も無職であることに助産師さんは仰天していた。どうしてお仕事してないの、大丈夫なの。やる気あるの、頭大丈夫なの。

 

私自身もこの先の生計に不安はあったが、面白がっているようなところがあった。

「どうだ、無職でも子ども産むぞ!」「お金はあっても1人でつらいつらいするワンオペより、貧しくても時間たっぷりかけて2人で育てるぞ」ってね!

 

幸いしばらく平穏に暮らせる程度の貯金はあるし、産んでしばらくしたら私の方が働いても良いし、なんとかしようと。

 

イルカ (文春文庫)

無職で子ども妊娠したぞ

マタニティ。ピンクでふわふわな幸せイメージいっぱいのその期間、なるほど私も結婚以来最も穏やかな時間を過ごした。

 

夫が常に家にいる生活で、2日に1度は「うっとおしいな」と思ったが。

いつでもなんでも相談に乗ってくれる余裕のある夫がそばにおり、妊婦健診は毎回一緒に行き不安も楽しみも共にし、冷蔵庫の前で「牛乳がないなァ」とつぶやけば激安スーパーまで走り1本128円の鉄分入り牛乳を買ってきてもらえる生活の麗しさを感じていた。

 

そして「いつ陣痛が起きても一緒にいてくれる、病院に連れて行ってもらえる」安心感は、初産の妊婦にはありがたかった。持つべきものは無職の夫である。

 

DVDつき 安産マタニティ・ヨガ

 

無職夫婦と陣痛

出産したのは、2月のはじめ。

陣痛が起きてから産まれるまで、40時間近く苦しんだお産だった。

 

一般的に「夫の立会い」というと分娩台の横で手を握っているイメージだけれど、1番きついのはそこに至るまでの陣痛だと思う。夫いわく、「分娩だけで立ち会った気になるな!」である。

 

陣痛。

初めは10分おきに起こり、だんだん感覚が短くなり、2〜3分起きに凄まじい痛みがくる。

それは子宮が割れそうな、逃げたくても逃げられない痛み。次に襲ってくる陣痛を、ただ待つしかない恐怖。耐えるしかない時間。

 

人生のおいて生活において大体のことは、どこかで「ギブアップする」という選択肢があるじゃない。

学校は休めばいいじゃない。仕事は休めばいいじゃない。頭痛はロキソニンを飲もう。痛いことや辛いことからは、ある程度逃げられるように通常はなってるんだよ。いや、逃げられない辛いことも沢山あるけどもあのねでも陣痛は違った。

 

ギブアップそれなんですか?である。ギブアップ=死?いや私が死ぬことすら許されない、私は産み落とさねばならぬ、赤ちゃんを死なせてはならぬ、待ったなしの事件である。

 

そういうふうにできている (新潮文庫)

 

ヨガ本で練習したやり方で、必死に呼吸した。ヒィーヒィーと泣き声ともつかぬ声で息を吐いた。陣痛の時の記憶はすでに薄れつつあるが、「ふざけんな!」が口癖になっていたことを覚えている。病院の食事も、箸を持つことすら無理、手づかみでひとつ口に入れては受け付けなくて「まずい!」と吐き出し…

 

理性が吹っ飛ぶ。買ってきてもらった紙パック牛乳を「何これまずい」と言いながら飲み干し、「もう1本買ってきて」と実母をパシらせる…通常の理性モードでは考えられない暴君スタイルである。

 

でも頭の中は「ヒィ!ヒィ!」状態だから仕方がない。

 

呼吸で痛みを逃すとき、そばで「大丈夫だよ」「上手だよ」と声をかけてもらうと楽になった。肩に手を添えてもらうと、安心して痛みが和らいだ。メンタルの影響がすごく大きいのだ。

 

夫が一度荷物を取りに帰るかもしれないと聞き、「帰らないで」とそばにいさせた女は私である。

実母ではダメだった、妹ではだめだった、いつも家で一緒に過ごしていた夫にそばにいてもらわなければ、心細くてどうにかなりそうだった。そして一緒に出産をしたかった。

 

そばにいるよと聞いて、嬉しくて呼吸がぐっと楽になった。

 

それからまもなく、なかなか開かなかった子宮口は全開になった。

 

産後の感想

分娩台に上がり2時間いきんだのち、頭をカップで引っ張られ「フギャァフギャァ」と赤ちゃんは登場した。

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産んでまず思ったことは、「本当に産めた…」であった。

 

赤ちゃん、出てきた、生きてる。嬉しい。信じられない。かわいい泣き声…

 

以前に流産を経験していたから、きっとどこかで赤ちゃんをとられてしまうのだと思っていた。私はそういう運命なのだ、幸薄い人生なのだ。そんな私にこの事態、神様これはなんのご褒美ですか?と。

 

頑張って頑張って、楽しみにしていたことを、これまで報われた経験がなかったからかもしれない。

要領が悪いのに頑張って入った進学校では、なじめなくて不登校になった。必死に追った夢の職業には、つけなかった。

 

「どうせだめだろう」と、心のどこかで思っていた。

勉強しても、頑張っても、自分にはできない。自分は能力が低い。そういう星の下に生まれていない。

 

分娩中に考えていたことを思い出す。

「助産師さんはもっと世話をしてくれればいいのに」「もう1回、いきめたかもしれなかったのに」

 

言い訳ばっかりだ。文句ばっかりだ。

 

だから10ヶ月間お腹の中で一緒に過ごしてきた赤ちゃんが無事に出てきてくれたことは、痛みに耐えて最後まで頑張りぬけたことは、初めての成功体験だった。

 

生まれたことが嬉しいという気持ちとは別に、これは初めて「やり遂げた」経験だと、分娩台の上で思ったのを覚えている。 

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