焦って動けなくなったら、問いを立てるんだベイべ
びっくりした。
全然仕事が決まらなくて、びっくりした。
気づいたらどうしようどうしようで頭がいっぱいになった。焦って焦って、強い不安に襲われる。勉強しなきゃポートフォリオ(作品集)もできない、ポートフォリオがなければまともに就職できないのに、わかってるのに手につかない。
保育園は6月までに仕事を始めないと追い出されてしまう。追い出されたらもうどこにも入れない…
勉強が思うように進まない、わたしには向いてないかもしれない、この道は間違いかもしれない、
いい求人がない、面接が通らない、ひとりぼっち、、、
もやもや考えては、勉強に集中できずバイトを検索し、メールを何十回も確認した。
どうしよう。
こういうときは。以前に読んだ、山田ズーニーさんの本を思い出した。
とにかく、問いを立てることが大事であると説いた本だ。
どうしよう…とぼやいていることを、
「どうすれば、〜できるのか?」
という問いに変換するのだ。
(変換前)
「保育園を追い出されたらどうしよう…怖いよーあーがんばらなきゃ」
→(変換後)
「追い出されないためにはどうしたらいいか?」「追い出される恐怖を取り除くために今なにができるか?」
(変換前)
「勉強が全然進まない…あーどうしよう…向いてないかも…あーでもがんばらなきゃ」
→(変換後)
「勉強が進まない原因は何か?」「勉強を進めるために、何ができるか?」
今までは「とにかくがんばろう」という根性だのみや自己嫌悪になっていたところを、問いにすることでロジカルに考えることができる。
問いに換えられるということは、答えがあるということなのだ。だいたいは。
他にも、もやもや考えていることを問いにして紙に書いた。
おもったよりも沢山出た。
すっきり。
もう、焦りすぎて不安すぎて体に力入らなくて主に床にいたし、夫が帰ってきても首を5度玄関方向に動かすぐらいの動きしかしなかったよ。
ほんと、いちばん辛いのは、不安とか焦りで動けないことなんだよね。もうだめだ、人生だめだって思っちゃうもん。出口ないって思っちゃうもん。
問いに変換すると、悩みは一個一個解決できるものなんだって思える。答えはあるんだって思える。
勉強の悩みは勉強することでしか解決できないんだけどね。
ということで、今日は子どもの寝かしつけ後、がんばれた。がんばれた、がうれしい。
スーパーかしこい夫に沢山手伝ってもらい、CSSの理解が進んだ。
ヨカッタ…明日も生きよう。
ところで最近、子どもに「ベイべ」って単語をよく教えている。アカンボがベイべって言ってきたら可愛くない…?可愛いです!