ゆりおろぐLIFE

エッセイと日々の活動。

どん底期の編み物セラピー

夜寝る前、目を閉じると職場での出来事がよみがえってきて、不穏な気持ちになった。

 

もう、正直に言うけど、辛かった。希望通りの職種だったはずなのに、不満や孤独感が増していて、もう、いいや、と思っている。

 

どうして私はここにいるんだろう、とか思っている。頑張って時間を作って勉強しても、収入につながっていない。虚しさみたいな、寂しさみたいな、もうじゃあどうすればいいのよみたいな感じがあった。

説明通りに7分しっかり茹でたのに、全然柔らかくならないパスタを前にしたみたいな。なにこれ全然美味しくないしうそつきって。

 

今思うと、「レシピ通りやれば正解」みたいな、学校的な発想がもともとあって、それの通りにやったのになんでダメなの、私いい子なのにがんばったのになんでダメなのっていう子どもっぽい考え方だと思う。

でも。

どうしたらいいかわからなかった。お金の作り方がわからない。

 

育児と仕事の合間を縫って勉強して、行き帰りの電車の中でテキスト読んだり仕事してきたけど。「とにかく前に進もう」みたいな元気が尽きた。源泉からちょっと枯れた感じ。いやそもそもこの源泉ちがったの?みたいな。もう錯乱。疲れたよ、まじ疲れたよ。うわああああ。ごめんなさいいい。

 

しかし錯乱していても鬱っぽくても子どもを育てねばならない。まだ死ねない。だからというわけではないが、私はジタバタもがきながら、その辺にあった刺繍糸をつかんだ。

 

少し前に、刺繍糸で作るあみぐるみの本を見て、可愛すぎて時を忘れたことがあったのだ。

その中に、小さな車のあみぐるみがあった。赤くて編み目の味わいがあって、ちゃんと窓がついていて。こんな可愛い車を、子どものために作れたらなと思った。作ったことない。でもできたらいいなと思った。

 

子供が喜ぶことのために時間をたっぷり使う。きっと1目1目子どものことを思いながら編む、後ろのキッチンでは鍋にコトコトスープを煮ていて…そんなお母さんになれたらな。素敵に思えた。格別に特別にすばらしいことに思えた。手芸の取り組むお母さん、すなわち子どものことがしっかり心の中心にある、迷いのない、そんなお母さんの生活。素晴らしいことに思えた。憧れて憧れて憧れた。私はぐっちゃぐちゃのままあらゆることに手を出しているので。

 

お勉強にも仕事探しも、合理的で効率的な何かのことはもう無理、どっかいって、しばらく放っておいてと扉をしめた。押し寄せてくる臭いやつらのことは締め出すことにした。

 

編みはじめた。うっとり子どものことを思いながら編むお母さんじゃないけど、ちょっとだけそんなテイストもあるよ。子どもがそれなあに、何やってるのって覗き込んでくるようなそんな趣味なんだなって思った。仕事でしか役に立たない?バーチャルなwebは子どもにはあまり伝えられないけど、実体のある、手で触れるものっていいよな。

 

編み物なんてできたらかっこいい。これお母さん編んだんだよ、次はこれ作ろうかなって言えたらすてき。刺繍糸はツヤっとして、柔らかくて、素晴らしい色をしていた。

 

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平編みだのこまあみ2目だの巻きがかりだのとわからない言葉しか出てこない本を読みながら、しかしweb制作でわからないことがあればググってなんとでもできることを学んだ私は強かった。編めてる。私編めてるよ。実務未経験だけどちょーいけてるよ。めちゃくちゃほつれたりしてるけどいい感じだよ。だってとりあえずできてる。

 

編み進めていくと、気持ちよくなっていることに気づいた。名探偵コナンをエンドレスで見ながら聴きながら編んでいる。空しかなかったところに、私の編んだものが存在している。嬉しかった。

 

布団の中で目を閉じると、編目に針を差し込む感覚がよみがえってきた。頭の中で編んでいた。寝る前に職場でのしんどさを思い出すより、グっといいよな。

 

調べてみたら、編み物はやはり心に効く。ウツや認知症にも効くらしい。自分の手で作れる、そして誰かにあげることができるので、自尊心が満たされる。手指を動かすことで脳が刺激されると。

 

この先どうするか、まだ何一つ決まってない。

全然叶えられない夢が泣きたいくらいたくさんある。周りのみんなの人生は光かがやいて見える。うらめしやぁ!って全ての人の枕元に化けて出たいくらいだし、何一つ問題は解決してない。が、今日も生きている。めちゃくちゃなままで生きてる。金を稼ぐためにだけ、生きてるわけじゃねえ!